T土星の水瓶座入り:新型コロナウイルスの話題(2020年3~4月)

以下は、mixi の西洋占星術グループに投稿した、Aquilah ★ アキラの発言を、一部加筆修正したものです。(他の方の発言は、意味を変えずに文言を一部変更しています)

2020年3~4月、新型コロナウイルスについての話題。

「トランジットの土星の水瓶座入り」での変化が話題になりました。

トランジットの土星は、2020年3月22日に水瓶座に入り、7月2日に山羊座に戻った後に再び12月17日に水瓶座に入り、2023年3月7日に魚座に移るまで、水瓶座を移動します。

T土星の移動

> 明日、トランジットの土星がやぎ座から水瓶座に移動します。
> このコロナ騒ぎが終息するかも。

という発言を受けて、以下、私 Aquilah ★ アキラの発言です。

トランジットの土星(以下、T土星)が水瓶座に入ったこと、今の世界情勢から考えていました。
占星術に親しむ方の中には、水瓶座の土星入りや、また水瓶座そのものに対して、肯定的な見解をよく目にします。

今の世界情勢や、このウイルス騒ぎでの流れを見ると、個人的にはかなりネガティブな方向をイメージしています。

T土星が水瓶座に移動して、この騒動が収束とは、決して思えないんですね…
これは、日々更新されるウイルスの情報も含めての認識ですが、

「山羊座の領域では行えなかった段階、水瓶座の領域に、
 この問題やその他の問題を、移行させていく」

ように思えます。

山羊座のルーラーは土星ですが、水瓶座のナイトルーラーも土星です。
ですから、山羊座と水瓶座は同じテーマの一続きのように思えます。

(あまりつっこんで書きますと、恐怖をあおってしまいそうですが)
こんな風に、土星の水瓶座入りのネガティブ面を考えている方はいないのかなぁ?と疑問でした。

(逆に、冥王星と木星の合について、ちょっとした方向転換・新しい発見があるような気がします。
不思議なことに、合になる4月5日から、風水のチャートでも、最悪だった3月からの好転が示唆されていたのに、感動しました。)

個人的に、昨今の状況から、惑星の水瓶座入りを悲観的にとらえているのは、占星術そのものの象意というよりも、その象意がどのように社会に反映されているか、あくまでも世間を見ての上での悲観です。
(世の中、表に現れてくるものはひどすぎると見える:2020年4月時点)

でも表の事象の裏には裏その意味がありますから、その裏の意味を、占星術で読み解きたいのです。起きていることと、起こされそうなことの意味を、占星術で推測することは可能と思えます。

個人的には、水瓶座の土星は(昨今からの流れの中では)かなり怖いのです。
どんな意味も、それまでの流れ・文脈の中でとらえるべきだと感じますが、「抜けた」のではなく(山羊座で起きたことが終わりなのではなく)、水瓶座の領域に進化させられると思えます。山羊座の意図はそこに十分あると。
水瓶座は技術優先な面が、怖い所です。

極端な例だと、マッドサイエイティストです。倫理のない技術。
山羊座までの時代は、その土壌作りだったけど… 人々がそこで、土壌の下で日々作られているのを変えようとしなかったら。

だけども、2011年の震災で、土に帰るような生活に移行した人々がたくさんいました。
ただそうした生き方が、「メインストリーム」にはなってなかったでしょう、残念ながら。

・新型コロナウイルスについての見解(世界での感染状況についての話題について)

問題の根本(目的)は、このウイルスではないと見ています。

水瓶座で(2020年4月時点)「T土星とT火星が合」であることについて

> 今、水瓶座でトランジットの土星と火星が合ですね。
> ちょっと世の中の流れが変わらないかなって、期待を持っています。

「水瓶座」というサインへの印象で、「流れが変わる」(恐らく良い方向へ?)というイメージを持つ方が多いのかという印象が、やはりあります。

もし流れは何かと変わるとするなら、社会全体とか、大きな枠で考えたときに、水瓶座というのはどういう動きをするのか

対抗の獅子座とのバランス、その差異で考えると、獅子座は個人、自分のために生きる動機でしょう。(獅子座に冥王星があった世代(今の高齢者)を見るとそういう資質満載です!)

その反対の水瓶座は、「個」の理論ではなくて「全体」の理論では?と。その「全体」というのは、山羊座から始まる流れのものでしょう。

射手座までは個人の探求で、その個人が完成する山羊座で、個人は全体の中に居場所を見つける。
このサインの意味する「流れ」(その意味)を考えると、山羊座から水瓶座で、がらっと流れが変わるようには見えないのです。
「全体」の倫理の中で、具体的に(技術を伴って)実行されていく。
こういうことを言っている占星術師の方をあまり見ないのが、個人的に大変に不思議でした。サインひとつひとつの特徴を見る方は多いけども、12サインの流れで見ることは占星術師の王道ではないのでしょうか?)

「地」のサイン山羊座から、「風」のサイン水瓶座への移行について

*「地」のサインを「土」のサインと言う方がいますが、正しくは「地」(Earth)です。「土」は、中国の五行説「木火土金水」のうちのひとつです。

「風」のサインに(T土星が)移るので、(おそらく、風のイメージから)「重苦しい空気が軽くなる」とイメージされる方がいます。

> ずっと土の星座に星がたくさんあって「じゃぶじゃぶ」状態でしたが
> 風の星座に星が流れて(移動して)。
> ちょっと重苦しい空気が軽くなれば…と。

(まず、蛇足として、地のサインが「重い」という印象で、嫌いな人が多いのか?という印象がありますが、それについて↓)

T冥王星の山羊座入りによって、人々は現実の生活を着実に生きる必要がでてきました。この世の物質世界の勉強が必要になります。T冥王星が射手座にあった時代は、理念・理想・探求で生きていれたのが、山羊座に入って「仕事をした!」という印象です。物質的・現実的に、人生が変化し、動き出した人も多かったでしょう。地に足が着いた生活を、嫌でもやらされる時代です。

この「現実性」を、「重い」とか「軽い」という“印象”で受け取ることはしたくなく、あくまでも本質的に「何が起きているのか」「何が必要とされているのか」と見たいところです。

さて、それを受けて、現在の水瓶座に多数の天体が入る(マジョリティー)時期になり、次にどうしようかと検討中のこともあるでしょう。
ただし、まだT冥王星・木星は山羊座にありますので、最後の仕事を悔いなくやることが大切です。山羊座はみんなの力なので、みんなで力を合わせて!という姿勢も。

山羊座は会社にたとえると、経営者会議みたいなものだと思え、これからの時代をどう方向づけるか、それが決定されてしまう。
その会議の中に、上層部だけはなく誰もが参加できればできるほど、未来は明るいでしょう。みんな参加できるかどうかが、鍵かと。
日本でもデモなどがごく普通になったのも、そういう意味だと思っています。
それが成功したのかどうか,,, 水瓶座の時代に現れそうなのが、怖い点です。

この世の物質社会は、ルーラーが土星である山羊座で完成です。ホロスコープの第10ハウスを定位置とする山羊座が、その役割を担っているでしょう。その次にくる水瓶座と魚座は、象徴的に言えば、この物質社会では「余剰」です。もう出来上がってしまっている構造を、どうするか。
そういう意味合いのある水瓶座、さらには次の魚座を考える時、やはり、山羊座がどういう形で完成されたかを見ないとなんとも言えないし、構築された山羊座の世界にかかっているように見えるのです。

だからこそ!T冥王星がまだ山羊座の終わりにある今こそ、「風の時代」とうわつくことなく、しっかりとこれから築かれようとしている社会の構造を、しっかりにらんでいないといけないはずです(どういう社会になってもいい、というのでなければ)。

トランジット土星の水瓶座入りから始まった会話でしたが、現在の情勢から「水瓶座」の意味を考える方向になりました。
そこで、ふとネットサーフィン中に出会った書籍が非常に示唆的でした。

この記事のタイトルが、誤解を受けそうでもあり懸念されますが、書籍紹介で言われていることは、まさに、今このコロナショックでの本質的な人類の問題を述べているように思えました。
哲学科教授の書籍です。

コロナ危機 精神の毒にワクチンを


マルクス・ガブリエル『未来への大分岐』

こういう姿勢を見ると、久しぶりにほっとします。
こういう見解は、哲学的な意味で冥王星in射手座的なのか、それとも、山羊座を抜けて、冥王星in水瓶座的な価値観の先取りなのか?

後者ならいいのですが、今の流れだと、あまり後者に思えなかったのです。
なので、どこか懐かしい良き時代の良心のように感じられて。
「5万部突破」ということで、大衆に受け入れられているのであれば、それは希望ではあります。

ちょうど、水瓶座のことを書いていて、上に「倫理なき技術」とふと書いてしまって、それについて本当にそうなのか、考えていたときに、この書籍紹介の言葉が目につきました。

(引用)——————————————

知と技術によって近代のあらゆる問題を解決することができるという迷信に比べれば、コロナウイルスは無害であるということに、いつになったら私たちは気がつくのだろうか?

これは、私たちみな、つまり、ヨーロッパ人だけでなく、あらゆる人間に対する呼びかけである。必要なのは新しい啓蒙である。私たちが盲目的に自然科学と技術に追従しているせいで引き起こされているこの甚大な危機的状況を認識できるようになるよう、あらゆる人間は倫理的に教育されなくてはならない。

——————————————(引用終わり)

この「倫理的な教育」というのが曲解されて、全世界共通の一方向の教育、のように理解されなければいいが、という懸念のある和訳が少し気になりながら、それでもこの時期、非常に示唆的な内容でした。

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