H氏の10天体

H氏の10天体

1997.10月 H氏の10天体

 まずは本人の説明からです。

「まず、これは月です。自分が物心ついてから意識がはっきりしてきたころに 、来始めた町というのが神保町ということで、神保町の中でもわりあい御茶の水 の方からどうどうと坂を降りてくると見えてくる風景ということで、書泉グラン デのあたりをちょっと撮ってみました。要するに小学校5年生くらいからここに 行くようになったということで、おじいさんと親父に連れてこれらるようになっ て、それでそのまま継続して行くようになったというわけで、で、幼い頃からの なじみのなるものという感じがしています。

で、水星はこれです。私のCDラックです。CDラックの中の一部なんです けど、上から下まである中の真ん中あたりで、バロック音楽のCDがものすごく 多いんです。水星って普通「言語」とかがくるのかな、と思ったんですけど、私 の場合その高校時代に「音で会話する」っていうのをバロック系列の音楽で始め て学んだ感覚であって、水星とバロック音楽っていうのが関係しているっていう 感じが、すごく本人の中で強いので、たまたま思いついたのでこれを撮ったんで す。

で、金星ですけども、金星はですね、やっぱり自分の居て楽しい場所という ことで、やっぱり同じ神保町で、ちょっと裏側のすずらん通りっていうところで す。で、やっぱりなじみがあって、東京堂のあたりです。やっぱり行って楽しい っていう感じですね。次は太陽ですけども、太陽はこれは御茶ノ水駅です。御茶 ノ水駅の聖橋と反対側の方から、こう聖橋の方に向かってバーっと撮ったんです 。太陽を何にしようか実は迷ったんですけど、結局太陽で思いついたのがここな んですね。4枚くらい撮ったうちのひとつなんですけど、色が一番きれいだった ので。ここから、川がこうどーんといっていて、でそこに人工物の橋とかもあっ て、ある程度樹などもあって、ずーっと広がりのある風景っていうことで。で、 太陽って何だろうって考えたんですけど、私の場合は、ずーっと続いていている ものに向かって歩いていくっていうようなイメージが強いのと、あともう一つは 、御茶ノ水から秋葉原の方を見ているんですけど、まあそれはあまり意味がある のか分からないですけど。

太陽が自我とか生命の与え口とかいうことを考えると、私にとっての生命の イメージっていうのは、ある程度エントロピーしながら発展していってまた収縮 していくっていう感じがあって、発展の段階っていうのを太陽が代表するだろう と。それがやはり、「向こうに繋がる流れ」というのがどこかに入っていないと いやだな、というのがありました。

火星ですけども、これは「山の上ホテル」です。なんで火星が山の上ホテル かっていうのは、これは割りと地味でおとなしいイメージですけども、火星って いうと普通は積極性とかなんでしょうけど、私の場合はゴージャスっていう単語 がすぐ出てくるんです。多分獅子座の火星だからじゃないかと思っているんです けど。で、ただゴージャスで例えばベネチアの金と緑のまるでイタリアのホテル みたいなのっていうのもちょっと落ち着かないなという感じで、山の上ホテルと か東京ステーションホテルとかっていう感じで、どちらかというと積極性といっ てもごり押しに出るんじゃなくてちょっとルーズなのりの積極性っていうイメー ジが常にあって、それがこういう感じかな、と。
(中はゴージャスなんですか?)そんなにゴージャスじゃなくて、ただ古くて 、木とかが磨きこまれてて、バーとかに入るとテーブルもテカテカでっていうイ メージです。

あと、木星なんですけど、これは本屋街です。木星っていうと普通「発展性 」とかっていうのがあるんですけど、変な話なんですけど、自分は発展とか拡張 する時に、これは固定宮が強いせいかもしれないんですけど、分けが分からない 内にぼーっと前へ進んでいくというよりは、一歩一歩踏み締めて進みたいという 気持ちが強くて、そういう時に、他人と共鳴した知識で一旦確認しあいながら前 へ進むっていうのが、割りと好きなところがあって、木星って言った場合に私に とっては、図書館か本屋かな、と思いました。図書館が手近でいい写真が撮れる ものがなかったので、とりあえず昨日出かけた神保町の本屋ということになりま した。

で、土星はですね、これは書泉グランデの裏にですね、「ラトリオとミロン ガ」といういやに古い喫茶店のあるところなんですけど、ここの風景が、ちょっ と土星っぽいかな、と。というのは、ここは本屋なんですけど、どうもいまだに 人がちゃんと住んでいて、中で手仕事かなにかしているらしい、という感じで。 土星っていうと、私にとってはどちらかというと動きつつ落ち着ける場所ってい う感じで、本屋とあと喫茶店っていうのが両方、写真の中に入っているというの で、私は本屋か喫茶店のどっちかっていうのは、落ち着いたらまたどっかに行っ て、でまたどこかで落ち着いてっいう往復運動を繰り返したいっていうのがあっ て、土星イコール自分の落ち着く場所っていうことでいうと、こういうイメージ がうかんだっていう感じですね。

天王星はですね、これは私の吹いているウインドシンセサイザーっていう楽 器です。ここにコードで繋がっていて、ここからスピーカーで音が出るって感じ です。で、トランスサタニアンって多少私の無意識に関わることだと思うんです が、私の場合それは音楽の方にはまってしまうんで、天王星というとテクノロジ ーと関係した、という感じで、ただ単にコンピューターミュージックというので はなくて、自分で息を吹き込みながらそれを制御する電子楽器、っていうのがい いかな、と頭に浮かびました。

で、逆に海王星はこれは古楽器ですね。リコーダーで。本当はもっとあるん ですけど、いちおう3本ほど写してみました。バスリコーダーと、それから現代 のリコーダーと、あと昔のドイツのデナーというモデルのコピー楽器なんですけ ど。海王星と天王星っていうのは、セットになっている、というイメージがすご く強いので、これで「対」という気持ちが強いです。ちょっと作為的ですけども 、自分でわざと並べて撮ってます。

冥王星は、場所はどこで撮ってもよかったんですけど、交差点の真ん中で撮 りたかったんです。やっぱり神保町の交差点からですね、靖国神社の方を向いて 撮っているんですけども。太陽を川にしてみたわけですけども、冥王星が川だっ たら、ボワーっとした流れの川だとちょっと怖いな、っていうのがあって、地続 きで歩いているということで、道になっています。太陽の写真と冥王星の写真の 構図っていうのは両方とも始めから思いついていて、どっちを太陽にするかって いうのは実はすごく迷ってました。私としては川の方をなんとなく太陽として撮 ったという感じです。」


 

全体的な印象

 さて、H氏の10天体の特徴としてまず目につくことは何でしょうか?

全体的に町の風景をほぼ同じくらいの遠景で撮っていて、また色合いもグレ ー系がベースであまりカラフルな色合いが目立っていません。これは、H氏の写 真がリコーのデジタルカメラで撮ったもののため、多少赤みが飛んでいることも あります。また、構図的にも、各々の写真の中心に焦点があって、そこに吸い込 まれるように遠近法が強調されている感じがします。収まりのよい構図というか 、まるでH氏本人は風景から距離をとって、客観的に外界をながめているかのよ うな傍観者的視線さえ感じてしまいます。

ただ、天王星と海王星、水星は、逆に身近な“もの”を近影で撮っていて、 自分にとっての日常生活でのその天体の役割がいかにもはっきりしているように 見えます。どちらかというと、トランスサタニアンでこのように身近なものを撮 って、他の天体に遠景が多いというのは、普通の発想とは逆のような感じがしま す。水星だけはCDラックで身近な興味の対照がとても分かりやすく表現されて いるようですし、また水星の知性の働きがこのラックのように理路整然としつつ 、あふれんばかりにいっぱいにつまっている様子が想像されます。

Nさんが言うには、H氏の10天体の世界はまるでこの水星の写真に集約され ていて、他の9天体の風景はこのCDのひとつひとつから出てきた風景のように 見えるらしいのですが、これはとてもおもしろい意見です。

チャートの特徴との対応

というのも、H氏の水星はネイタルチャートでアセンダントと正確にコンジ ャンクションで、H氏の個性にほとんど強制的に色濃く出ているだろうからです 。この水星は天頂の火星と天底の土星とTスクエアを形成しており、またそれら は固定宮であるし、とても強い水星です。

 H氏のチャートの特徴は、やはり1ハウス蠍座に天体が多いことと、MC- IC軸に重なる火星、土星のオポジション、また木星、天王星のオポジションな ど、たいへん強いアスペクトが多いことではないでしょうか?この火星と土星の オポジション、木星と天王星のオポジションのどちらにも、水星はアシペクトし 、複合アスペクトを形成します。

H氏の10天体の写真に対し、たいへん意識的に管理された印象を参加者はた いへん感じていたようですが、それはMC-IC軸という影響の強い場所にある 火星と土星のオポジションが、これらの写真の“核”となるかのように働いてい る気がします。

普通、火星と土星のオポジションは“頑固”などと言いますが、それは火星 の攻撃力を土星の限られた枠の中で発揮しようとする時にそうなのでしょう。そ れ故社会的に目的を持つと、集中的な力を発揮できるのでしょう。一方、土星に よって火星のバイタリティーが抑制されたなら、本人自身が抑圧的な力にとらわ れるのかもしれません。どちらにしても、“コントロールされた力”がキーワー ドになりそうです。

同じものでもいろいろなサインやハウスに対応する

 天頂にありアスペクト的にも強い火星の写真について考えてみましょう。

「山の上ホテル」はふつうに「ホテル」ととらえると「休息する場」だった り、一時寝食する場であるから蟹座的な発想になります。しかしそれは本当の生 活の場でなく、また多くの雑多な人々が入れ代わり立ち代わりやってくるという 意味では天秤座や7ハウス的な意味になるでしょう。ホテルには格付けがあって 、H氏の説明によるとこのホテルはたいへん伝統を強調しているもののようだし 、H氏自身がそうようなイメージで撮影していて、それだと社会的な価値づけや 、周りへのアピールとしての10ハウス的な意味合いも出てきます。同じホテルの 写真を撮るとして、例えばH氏の火星が天底にあったら、ホテルの内部の装飾な どに目を向けたかもしれません。7ハウスなら、人がたくさんいるフロアーの写 真かもしれませんが、天頂ということで、外側からその全体像を捕らえている写 真となっていることが興味深いところです。

(こじつけ的に見れば「山の上」という名前も何か天頂を思わせるし、実際こ のホテルはこのあたりの地形では一番高いところにあるそうです...)

ただ、「豪華なイメージがある」とH氏本人が言う獅子座の火星も、普通の 獅子座と比べると少々、この写真は地味な印象もします。内部はとても豪華なそ うですが、写真を見る限りではどっしりとして落ち着いた印象がありますが、こ れはやはり土星とのオポジションの影響でしょうか?

構図的に写真を読む

一方、土星の写真は、対照的に町の路地の写真です。火星の写真で視線が上 に向いているのに対し、土星では、路地の暗い地面を視線ははっているかのよう にさえ見えます。

火星のホテルが中央に縦長にそびえているのに対し、土星は中央が路地の先 の空で、まるでそこが白く空間が抜け落ちているかのようです。火星が凸なら、 土星が凹、という対照的な構図が見られます。

もう一方の木星と天王星のオポジションの方は、天王星が風景の写真ではな いので比べられませんが、構図的には木星の写真は、月、金星ととても近い感じ です。商店街によく見かける、路上のカラフルな飾りつけがどれにも現れていて 、グレーが強く四角いビルのつめたさの中にも下町風の雰囲気が現れているし、 またこの3つの写真には人が現れています。

この3つの写真と同じくらに似た構図なのが、太陽、土星、冥王星の写真で す。どれも人が現れておらず、非常に遠景で、画面の中心が白く抜けており、そ の焦点に吸い込まれているような印象です。太陽、土星、冥王星は、10天体の並 びでは中心軸に並んでいます。月のみはずれていますが、太陽→土星→冥王星と いう流れがそのまま形を変え、しっかり維持されているように見えます。

これらの構図的な違いをどう読めばよいのでしょうか?

例えば、コラージュ療法などでは、大人やより年齢の老いているほうが遠景 の風景の写真を多く貼りやすく、子供は逆に自分の好きなおもちゃなど、“もの ”そのものの写真を切り取って貼ることが多い傾向にあります。「近視眼的」と いうように極めて主観的に自分の“良い”とするものを全面的にアピールするこ とと、広い範囲の中でそれらを客観的に見ようとする視線の違いが現れてくるの でしょう。子供は自分の興味の世界が全てであるのに対し、大人になれば自分は 広い世界のひとつの小さな存在であると理解してきます。そして、自分だけにあ てはまる“固有性”よりは、何でもない風景のような“普遍性”に重きを置いて くるのでしょう。

この見方を応用すれば、H氏の写真の最も遠景である、太陽、土星、冥王星 の中心軸において極めて客観的な視線を持っていて、普遍的なものの中で自我の 中心性を確立しようとしているのではないでしょうか?

そして10天体の右側軸、環境と接することで外からエネルギーを取り込むラ インにある金星、木星などで、横に平坦な構図となり、中心軸よりは距離感も近 くなります。月もこれに近く、おそらくH氏は月を右側軸に近いもの、つまり身 近な人々や環境に対して開かれているプライベートの生活のあり方、として使っ ているのでないかと想像されます。

左側軸が自己に集中して“形”を作り上げようとするのに対し、右側軸では “形”を抽出するだけの集中力はありません。本来、環境へ流出していく働きで す。その意味ではH氏がエネルギーを取り込む環境というのは、割りと身近な町 、特に神保町というよく通われる場所が出てくるのは、そのままH氏の生活が出 てきているようです。

それらに対し、トランスサタニアンの近影の写真はどう捕らえればよいので しょうか?まさに楽器そのものを撮っていて、自分の生活の中でのそれらの役割 がはっきりしているようでもありますが、逆にトランスサタニアンという、本来 土星の表す現実的な世界を超えていく正体不明のものを、音楽の世界だけで完結 されている、そこにとどめておこうとしているように見える、という意見もあり ました。

例えばこれは、中心軸にある太陽から冥王星への流れを考えてみてもよいで しょう。土星と冥王星の対比です。構図的にはどちらも似ていますが、太陽が川 とその上にかかる橋であるのに対し、土星と冥王星は道路、つまり地上です。構 図が似ているだけに、太陽の川は、この遠近法の印象的な道路のバリエーション のように見えます。そして、街中の雑踏の写真の多い中、この川の水はとても目 を引くし新鮮です。水は生命の根源、そこから全てが生まれ出る場所だとするな ら、H氏にとって未来を感じる場所、最も生き生きとしている場所は太陽なのか もしれません。土星はそれを抑圧してはいませんが、逆に土星を超える冥王星も 、土星のバリエーションのようになっていて、太陽を超える可能性を表していま せん。もちろん、これは海王星と合の太陽、という理由もあるでしょう。

こう見てくると、どれも風景を遠景で撮っているように見える写真も、その アプローチと構図によって、2つのタイプに分けられるようです。月、金星、木 星はより平面的であるのに対し、太陽、土星、冥王星には奥行きがある。火星は どちらかといえば平面的な方に入るでしょうが、全体の印象(色合い、人の有無 )は後者の方に近いでしょう。これらと全くタイプの違うのが、水星、天王星、 海王星で、どれも音楽に関連したものです。

図像のマンダラ効果としての写真

全体的な意見としては、やはり音楽の世界をかなり意識的に表現していると いうこと。ただ、天王星や海王星のように楽器を正面からきっちりと撮っている 写真は、音楽自体の雰囲気を写真として伝えるというよりは、H氏本人がまるで 自分を納得させるかのように意図的に撮っているようにも見えないではありませ ん。本来トランスサタニアンという意識しづらいものを、むりやり“意識化”し ようとか、自分の中である領域をあてはめてそれで納得させようとでもいうよう な。これはあくまで太陽の彼岸的ともいえる美しい水上の写真と比べるて、そう 見えるという部分もあります。それだけ、太陽が強く主張しているように見える わけです。現実の今の生活の部分の比重がとても大きく、それを覆してしまうよ うな未知の力の使い方は、音楽の世界にとどめている。雑踏の写真が多く、日常 的な日々の生活に埋もれている、など、否定的に見ることもできるかもしれませ ん。

しかし、写真はあくまでも今の状態に過ぎず、1カ月もすればかなり変わっ てきます。また、本人が意図的に整然とした写真を撮ることもあります、極端に 言えば、精神的な危機に直面した人が、整然としたマンダラの絵を見たり描いた りして安心するように、実際の写真の印象と本人の資質や状況は逆のことも有り 得るのです。H氏本人がいうには、どちらかというと、今のこの整然とした写真 は、そんなマンダラ効果に近いものだと言います。確かに、ネイタルチャートを 見てみると、トランジットの海王星や冥王星がネイタルの位置とスクエアになる 時期がだんだんと近づいています。トランジット天体のサインイングレスの影響 を強く感じているのかもしれません。もともとH氏は精神世界や宗教など、トラ ンスサタニアンの表すだろう事柄にはとてもくわしい方です。だからこそ普段H 氏を知っている参加者はこの写真に少々とまどったところもあるでしょう。

写真はあくまで一過性のものだということ、またマンダラ効果のように、写 真の方から精神に働きかけてくるための写真というものもありそうだ、というこ とが観察された今回の写真でした。

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