N氏の9天体
太陽は上手く写っていなかったそうですが、冷蔵庫を撮りたかったそうです 。上段の扉が開き、下段の扉は閉じたままの冷蔵庫の写真だそうです。
金星と水星は、もう一枚づつありました。
もうひとつの水星 | もうひとつの金星 |
N氏は今回始めて撮影されたそうですが、自分の新たな面を発見したという か、客観的に理解できたそうです。全体的に身の回りの写真が多いのですが、そ れはN氏が自宅の周りだけに限って撮影した結果というのもあるようです。また 1日で全て撮ったそうです。
まず、本人による写真の説明です。N氏は冥王星から月に向かって写真を並 べました。
N氏「冥王星は強烈な精神性を放つもの。石とか。信仰の対象になったりす るし、岩を見ていると何かやらなくちゃという気がする。信長の岩とか、信仰の 対象によくあるでしょ。古神道とか、それに近いものを感じる。
海王星はテレビです。これは分かりやすいと思うんですけど、テレビってミ ステリアスなところがある。電源が入っていないのが、逆にミステリアスなんで す。テレビって表面はごちゃごちゃしていてうるさいけど、後側には怪しげはプ ロデューサーとかいたりして...
天王星は海王星との対比で考えてみて、コンピューターです。中身が分かっ ている、割り切れる世界。それに世界的に革命を起こしたものって、20世紀はコ ンピューターかな、と思って。天王星としては普通っぽいイメージかな、と思い ますけど。
土星は、仏壇ですが、仏壇の中にいろいろつめこむ趣味があって、自分なり に良いなと思ったものをいろいろ入れてるんですけど、その写真です。
火星は包丁なんですけど、金属のイメージ。家庭で金属で強いものっていう と、包丁かな、と思いました。
太陽は撮りそこねたんですが、冷蔵庫です。これはオリジナル(なアイデア )だと自分で思うんですけど。上の段の扉だけ開いていて、下の段は閉じていま した。太陽というと、生活の中で常に中心となる核と思うのですが、それが僕に とっては何かな、と思うと、常に開け閉めしていて行ったり来たりしている存在 、それは生活の中では冷蔵庫かな、と思ったんです。太陽は水瓶座ですが、水瓶 座って冷たいでしょ、季節的にも。写真を撮った時は熱かったんで、熱いものは 撮りたくなかったんですね。
金星は洋服です。1000円で衝動買いしたんですけど、自分にとっての美学で すね。もうひとつのゲームソフトは、フェティシズム的で好きです。集めるだけ でゲームはやらないこととかもあるんですが、それもひとつの美学だと思うんで す。この美学っていうのが金星のイメージですね。お店で売っているゲームソフ トなんですけど。
水星は本棚を撮ったんですが、あまりにも重苦しい感じがして、もっと水星 のポップな感じを出したくて、電波をイメージしました。水星や金星になると、 撮るのに迷いが出てきましたね。
月は(キッチンの)流しです。月っていうのは焦点を合わせて撮るとデコボ コしていて醜いでしょ。あと、流しっていうのはいろいろなものを洗ったりする ところで、月を感情とすると、発生源の場、何かをするときの自分のエネルギー の発生源というイメージにつながるんです。で、物を洗い流すところ、というイ メージがある。理屈だとこれは、あまり月のイメージとしては納得できないんだ けど、心的には自分の月としてフィットしている写真だな、と。月ってもっとイ メージの良いものですよね、ダイアナとか。だけど僕はそういうきれいなものは 撮りたくないな、っていうのがあったんです。」
以上が、N氏自身によるコメントです。
まず、全体的に日常的な物を撮っている、というのが特徴で、それがとても 現代的というか、本人が金星について説明するようにどこか“フェティッュ”な 感じさえしてしまいます。遠景の写真が全くなく、まさにこの“もの自体”を天 体の象意としているのが特徴のようです。
これは今回同時に写真を考察した奈々さんの写真とは対象的です。この全体 的な印象の違いは何によるのでしょうか?
例えば、チャートを考察する際に始めに2区分、3区分、4区分を考えます が、それによるとN氏は風が4、地が3、水が2、火が1となっています。風、 地が強く、水と火が弱い、ということは、現実にあるもの、五感で感じられるも のに対して論理的に考えて理解しようとすることになります。機械や物事のしく みを考えるのが好きだったり、頭で考えてしようとするタイプということになり ます。反対に、目の前にあるものを通り越して目に見えない世界や未来のことを 夢想することは少なくなるでしょう。
水瓶座に太陽、火星、土星があり、特に土星があることから、ものごとを理 論化することにこだわりが出くるし、考えすぎてしまう傾向もあるでしょう。
といっても決して想像力がないわけではなく、N氏の写真の説明を聞いてい ると、普通の人なら単なる言葉の連想でイメージしてしまうものがN氏の場合は その言葉の部分がそのまま本質的なイメージの力になっているように思えるので す。
分かりにくい表現かもしれませんが、例えばN氏が海王星について、テレビ がミステリアスだと言うこと。普通はテレビという最も日常的なものを見て海王 星だとは思わないでしょう。トランスサタニアンは個人化しにくいため、海王星 というと、海とか、夕暮れ時の空とか、“ぼんやりとした情景”というのをその ままイメージしやすいのです。それを、海王星=ミステリアスというテーマでテ レビという、情景的な連想からは程遠いものを撮ってしまうというのは、この情 景的な連想よりも言葉とかその”意味”の方がN氏にとって近しいものだ、とい うわけです。それにミステリアスということから、テレビが出てくるあたりもか なり一般的な“連想”からははずれているというか、普通の言葉のレベルでの“ 連想”ではないものが、実はN氏の中にある感じがします。だから「海王星=ミ ステリアス、テレビの裏にはいろいろな怪しい人がいて...」という説明は一 見、言葉の上での連想かと思われがちですが、N氏の場合は言葉の部分が実際の 自分の感覚になっているというか、言葉の部分を生きている、という気がします 。が故に、その言葉の部分が普通の連想からははずれていて、かなり個性的にな っている。個性的、ということは、つまりそれを“個人的に生きている”ことだ と考えるわけです。
N氏は自分でも、言葉を介した人とのコミュニケーションが難しいと、述べ ていました。コミュニケーションということを重視すること自体は、天秤座の月 のためでしょうが、周りがN氏から受ける印象と、本人の自分に対するコミュニ ケーション能力の評価というのが、あまりにもかけ離れているというのが、印象 的でした。
N氏はともかく自分の言葉の使い方とか、物事の考え方が人とずれていて、 上手くコミュニケーションできない、ということを危惧しているのですが、周り の印象としては、とにかくN氏が話始めると急に雰囲気がなごやかになり、笑い の渦が絶えない、とN氏によってたいへん快適なムードを味わっているのです。 そのことにN氏も気付いていないわけではないようなのですが、自分の自然なま まで話すのではなく、N氏いわく“ポップに話す”ことによって、まるで自分が ピエロのような役割をしていると感じると言うのです。
このあたりのコミュニケーションに対する重視と、また自分の自然な状態を 変えてでもあえておもしろく話すことによって人と接点を持つことのできる能力 と、またその欲求というのは、天頂にある天秤座の月のためでしょう。
ところが天秤座の月に対して、牡羊座の木星がオポジションの位置にありま す。人の反応とか人との接点を大変気にする月とは対照的に、牡羊座の木星は他 人の反応を考えずに自分自身を押し出そうとするわけで、N氏はこの月と木星の 間でコミュニケーションを難しく感じるらしいのです。
木星はもともとベネフィックなので、悪い効果というよりは、月と木星のオ ポジションは、月を“過剰な状態”にします。N氏がコミュニケーションを大変 気にするもの、天秤座の月の方を過剰に感じているから、という気もしてきます 。もともと牡羊座、天秤座のラインは、自己と、自己を外側から写した像、とい うことで、自己と他者の関わりがテーマともいえます。
そして、月、木星のオポジションを調停する形で、水瓶座に太陽、火星が位 置しています。N氏はこの太陽、火星をどのように使っているかというと、N氏 いわく「天秤座、水瓶座という無機質ラインにある」と言います。
水瓶座はまだしも、天秤座が無機質というのは、ちょっと不思議な感じがす るでしょう。普通天秤座というのは、他者が現れる場所で、人間とか、人とのコ ミュニケーションを表すわけで、とても人間的な場所です。N氏の無機質という 発想は、実は12サインを表しているもの自体を発想しているのです。つまり、天 秤座は、乙女座が手にしている「天秤」、水瓶座は「水瓶」である。牡羊座の牡 羊や牡牛座の牡牛が動物であるのに対し、12サインの中で天秤座と水瓶座だけが 動物を表していない、というわけです。N氏は占星術にも詳しいので、サインの 基本的な性質を知らないわけではないのですが、それでもこのように発想してし まうのは、かなり占星術的な文脈の中では変わっている、と思うのです。このあ たりの例えば「天秤座」ということから「無機質」ということが出てくること自 体、N氏の思考回路がちょっと人とは違っている、ことがまた感じられるのです 。
それはともかく、N氏が言うにはこの「無機質ライン(天秤座、水瓶座)」 にある、月、太陽・火星・土星のグループが、「写真でも金属的で冷たい無機質 なものを撮っている」と、自分で解釈されました。
月はキッチンの流しですが、ステンレス製、太陽はまさに冷たい冷蔵庫、火 星も金属の包丁、土星は金属ではありませんが、仏壇という“死”に関係するも ののため「死んでいるようだ」とN氏は言います。人間的な暖かみ、有機的な感 じがしないということでしょう。そして、この太陽、火星、また土星の部分でも のを考えたり言葉を発しようとすると、うまく人に言葉が通じない、と言います 。
月、太陽、火星のアスペクトの部分で言うと、太陽の“冷蔵庫”から食べ物 を出して、月の“流し”で水で洗って、火星の“包丁”で切って食べる、という 一連の流れになっている、という意見もありました。アスペクトを取る天体は似 たイメージの写真を取ることはこれまでも見てきましたが、このような一連の流 れが見られるのは興味深いところです。もちろん、それは“キッチンまわり”と いうことで共通してはいますが。
写真全体の感じでは、N氏の言うように月、太陽、火星、土星に限らず、人 間的な暖かみというよりは物自体の冷たい感じというのは、10天体の全体的なイ メージであるというのが、メンバーの印象です。木星だけ、自然の木を撮ってい ますが、他はどれも“自然のもの”を撮っていません。これはやはり水瓶座に天 体が多いこと、それも土星というこだわりの天体が水瓶座にあって、“生のまま の今ある状態”を受け入れるというよりは、自分の考えとか理論を作っていく。 例えば水瓶座のサビアンの最初の1度が示すように、とかく机上の空論になりが ちな、理想郷の建設をめざす。そのあたりが、なにか現実観のなさとか、自然な 感じの欠如とかにつながっているようなのです。そういう意味では、N氏が太陽 についての言うように、「水瓶座は冷たい」というのは理解できます。
太陽の冷蔵庫について言うと、冷蔵庫というのは“冷やして保存しておく場 所”。つまり、太陽という本来自分のエネルギー源であって自己を外に対してア ピールしていくはずのものが“凍結している”、“保存されている”というわけ です。自己主張の方法が今は見つかっていないのか、太陽が生かされていない、 お休みしている状態です。
例えばそれは、冷蔵庫の意味を考えなくても、土星以下の太陽、月とも、9 分割での中心のライン、つまり自己への集中と外部との接触の中心で自己の存在 を統合していく部分が、どれも四角い“枠”で囲まれている、という形態的な面 からも想像できます。土星の仏壇、太陽の冷蔵庫、月の流し、どれもその“枠” の中の状態が喚起されるわけで、流しの水は普通、流しの外に溢れ出しません。 これはまるで箱庭のように、木箱の中でひとつの世界を作り上げているように見 えてしまいます。その中では確かに自分の世界があるのですが、それは外に流出 していかない。
このあたりの写真の閉じた感じは、チャートとはどう関係しているのでしょ うか?太陽は自己集中の火星とのコンジャンクションのため、自己に集中してい るのかとも思えますが、木星とのセキスタイルもあるのです。月はさらに木星と オポジションで、これは“過剰になる月”です。月というのは蟹座のルーラーで 、活動宮の蟹座は水のエレメントの中では、“流れる水”です。日常的な生活に 関係する“流れる水”ということで流しの写真は実はある意味、月の象意が大変 良く現れているのですが、今のところこの写真では水は流れておらず、流しの枠 が写っています。
そうすると、本来木星と関係し、拡大の要素を持っているにもかかわらず、 今はそれが使われていないように見えます。それが、自己のエネルギー源である 太陽が冷蔵庫で凍結している、さらに言うなら、写真が撮れていないということ に現れているのかもしれません。
さて、それならN氏は外界とのコミュニケーション手段を持たないのかとい うと、決してそうではなく、水星のアンテナや、天王星のパソコンなど、非常に 現代的なコミュニケーション手段が暗示されています。ただそれは現代的とも言 えますが、言い換えれば生のままの面と向かったコミュニケーションとはちょっ と違う。機械や電気といった媒介物を介した接触です。N氏は「人と話している と言葉の面でコミュニケーション疎外を感じる、だから自分の言葉を相手に分か るように間に変換器をはさんで話している」と言います。
これはおそらく水瓶座過剰で、考えることが人よりちょっと先を行き過ぎて いるとか、普通人が考えないようなこと、考えなくてもよいようなことまで頭で 考えてしまうような面が、人の普通の思考とか言葉のレベルとずれていると、本 人が感じるところのようです。もともとN氏は水星が1ハウスにあり、アスペク トも大変多いので、決して水星の示す言語能力が劣っているわけではなく、むし ろ水星を使いすぎというか、先に行き過ぎているのです。
たとえば、会話を示す天体は水星、と安易に考えてしまいますが、人と面と 向かって話をすれば、言葉だけではない相手の雰囲気とか身ぶり、つまり金星の 心地好さとか外見、また月のムードとかいろいろな天体を使うのですが、N氏の 場合は水星が強いうえに、強い水瓶座によってそれは理論とか思考の方向に強く 傾いてしまう。
N氏「自分の言葉っていうのは二面性を持っていて、そのため(素のままで )コミュニケーションするのが難しい。人に分かるように言葉を使うと、自分の 考えがわからなくなる、で、自分の思考方法で考えると人に通じなくなって、ジ レンマが出てくる。そこで考えるのは、人が話している言語と自分の言語を変換 できるようなものを作ればいいな、と思ったんですよ。で、それがゲームソフト とかになった。ゲームソフトが好きなのは、ゲーム屋さんって、次々といろいろ なことを考えているんだけど、(ゲームで)遊んじゃったりもする、その思考と 遊ぶ部分の中間に、ちょうどゲームソフトっていうのはあるんじゃないかな、と 思うんです。理論的な発想と、感情的な発想のちょうど中間にあるようで、それ が惹かれるところです。だからゲームソフトは結構買っているんだけど、半分く らいしか実際やっていない。」
このN氏の言うゲーム屋さんというのは、ゲームソフトを作る人はプログラ ムという理論言語を当然知らなければならないけど、しかしゲームを作るという ことで遊び心も必要、物事をきちんと理論で整理できるプログラムと、感情的に それで遊んで楽しいとか、楽しいものを作りたいという気持ちの面での生き生き とした部分が両方必要だ、ということを言っているのでしょう。
ゲームソフトはN氏が金星の写真として撮ったものですが、「自分にとって の美学」だと言いました。
N氏の水星は冥王星、海王星とトランスサタニアン2つともアスペクトを持 っており、特に海王星とはオーブ2度以内のため、かなり日常的ではない事柄に 関心を向けたり、また言葉の使い方が通常の域を脱したりしそうですが、それに 対し金星という個人的で日常的な天体は、うまく水星を日常生活の中で活用しよ う、接点をみつけようと働いている気がします。
金星はもちろん海王星とアスペクトを持つのですが、水星、海王星、金星は ソフトアスペクトなので、破壊的な方向には向かわないで、ちょっと言語感覚が 人とずれているとか、イマジネーション能力とか、また水星の示すコミュニケー ションが言葉そのものよりはテレビのような映像や、ゲームソフトといった現実 ではない“虚構の現実”として現れているようです。
水星の写真は本棚も撮っていますが、本棚に並んでいる本を見てみると、オ カルト系と経済系が混在しているのが目につきます。芸術関係、つまり感覚的な ものや、日常的なものがない。思想とか、理論系に偏っています。
オカルト系というのは、例えばN氏の写真全体を眺めてみて、一方でパソコ ンやテレビ、アンテナといった現代的なものが目立つ中、もう一方には、「(冥 王星の)石や岩は信仰の対象」と言ったり、土星で仏壇が出てきたりと、宗教的 、あるいはもっと土着的な古代信仰のようなものを感じさせます。実際、N氏の 話の中でも宗教の話はよく出てきて、キリスト教や仏教というものを、かなり個 人的に把握しようとしているところがあります。岩の話にしても、普通冥王星の 説明としてありがちな「重々しい感じ」とか「最も長い時間変わらないもの」と かいった説明ではなく、「信長の岩」や「古神道」などかなり意識的に信仰と結 びついています。
そうすると、このあたりの大変古い信仰と結びつく感覚と、一方で新しすぎ るコミュニケーションの方法を探ろうとしている、それらが混在しているのがN 氏の写真の全体的な印象となってきます。
経済書ということでは、火星と太陽は2ハウスカスプに近いし、土星は2ハ ウスに入っています。太陽は水瓶座13度ですが、市場などと関係する。13度のサ ビアン(N氏の場合は14度になりますが)は「バロメーター」で、世の中の動き を予測できる度数。もともとの水瓶座らしい、物事を分析し理論を組み立てる方 向が2ハウスという金銭、経済という世の中の動きへの興味となるのは、とても 分かりやすい気がします。
例えばN氏はアセンダント・ルーラーの土星も、MCルーラーの金星も2ハ ウスにあるわけで、このあたりの2ハウスへの傾倒と見てもよかもしれません。
しかしもっと全般的なとらえ方では、2ハウスは自分の安定する場所をさが すところで、人生に確たる存在感を求めることになるわけです。
ところが、アセンダント・ルーラーの方の土星は、MCと6度以上のオーブ でアスペクトを持つだけで、かなり弱い土星です。アセンダントという本来の自 分を生き生きさせる手段をみつけにくい、とも想像できます。
その一方で1ハウスという自分を守る以前の無防備な状態にある水星の方は たいへんアスペクトが多い。これはN氏が言葉によるコミュニケーションが難し いとは言うものの、水星自体を使わないではいられない配置です。
しかし、水星というのは言葉だけではないはずです。
N氏へアドバイスするとしたら?、と皆に意見を聞いたところ、最もN氏が 納得できるというか、しっくりきた意見というのは、「人に通じる言葉にこだわ らないで、自分の中の感覚、N氏が二重性のある言葉という時の、自分だけにわ かる感覚を大事にしてよいのではないか」というもの。
冥王星、海王星とコンタクトする水星は、むりやり人に分かるように、つま り土星以内の天体のような社会的に認知されうるような形に変換しようとすると 、ますます本人の感覚がつらくなるかもしれない、というわけです。
海王星と金星のトラインにアスペクトする水星と考えると、ビジュアル的な 表現力がありそうだし、そういうものを使ってコミュニケーションできないのか 、というわけです。
N氏「以前、前世が見れるという人に見てもらったら、あなたは伊能忠敬の もとで働いていた人で、あなたには図形が見える、だから図形を扱うとよい、と 言われたんですよ。図形は好きで、例えば数学でも代数は弱いんだけど幾何は得 意だし、あと本でも必ず図がはいっている本を買うんですよね、図形がないと理 解できないとことがある。何というか、人を気にしないで自分で自然に考える時 は言葉を使っていないですね。言葉のやりとりをするより、図形でやりとりする 方が楽だ、という感じです。」
前世ということは別にしても、図形への親近性というのは、何か鍵になりそ うです。「言葉より図形でやりとり」となるともう、普通の思考では想像できな いものがありますが、しかし古代から存在する図形というのはある意味、簡略化 した中に多くの情報と理論を凝縮したもので、その法則は古代の高度な文明を証 明するものでもあります。この「古代だけど大変高度な理論」という、先ほどN 氏の写真の全体的な印象として挙げた一見相反するものが、このN氏の図形への 傾倒にうかがえる気もします。
究極的には言語もひとつの記号であり、図形もその法則さえ違うものの、記 号の一種である、と考えるなら、N氏の興味の方向というか生活の多くを占めて いるのは、“記号”だという気もしてきます。
はじめN氏の写真をぱっと見ただけでは分かりずらかったものが、N氏の話 を聞いているうちに、本人の連想とか物事の意味付けがなんとなく見えてくるし 、逆にN氏の写真を前にすることで、N氏の話が一見荒唐無稽に聞こえても、明 らかに本人にとっての現実観なのだということが、写真を通して想像できてくる のです。
ちょっと普通の発想からはずれていつつも、ちょっと先に進みすぎた感覚を もったN氏、という印象でした。
Hestia「N氏のテレビとパソコンの対比はおもしろかったですね。“映像”と “情報”という差で分かりやすかったですけどね。テレビの映像、という範疇で はありますが、映像というもの自体を「すべての情報を一瞬に捕らえることが不 可能な」人間の視覚(というか五感すべて)、という面から捕らえるなら、その こぼれおちるものを含んだもの、というのが海王星の境界のなさ、という意味に なると思うんですが。」
SARI「海王星のテレビ、天王星のパソコンって、そのままじゃないかって感じ でしたけれど、テレビでやっていることが、割合と見ている視聴者に信じられや すく、安易に浸透する力を持っているというのは、どこか海王星っぽいです。 一昔前、トレンディドラマが流行って、東京で一人暮らすOLがすごい高級マンシ ョンに住んでる設定などが、描かれてましたけれど、地方でテレビ見ている人は 、それが普通の、東京のOLの暮らしだと思ってしまいますね。 実際、OLのお給 料では住めないのに、テレビでやっているとそれを日常のこととして、混同する ような部分があるような気がします。」
SARI「N氏の海王星ですけど、彼にとってテレビが海王星というのは、テレビ 世代、テレビッ子というのも考えられますね。 金星はゲームソフトだったか、 ゲームソフトはソフトという形になった使う目的のあるものだけど、テレビって 目的なくつけてる人とか、いるじゃないですか。寂しいから、なんとなくつけて いるとか。 以前ちょっと思ったんですが、テレビ番組は中で勝手にやってるけ ど、ラジオ番組って、ほとんどがリスナーに話しかけてきます。 私は、あるラ ジオ番組で、そのパーソナリティやってるアーティストによく葉書を書いては読 んでもらってたのですが、そうすると、これはパソコン通信の世界に近いものが あるんです。言語を介して、明確にコミュニケーションする感じが出てくる。 ここがラジオとテレビが違う所で、テレビは勝手に番組やっていて、受け入れよ うが否定しようが、という感じですがラジオ、またはパソコン通信は、相手との コミュニケーションが密というか、話を聞くために集中することが、テレビより 必要というか。 そのテレビからイメージを持ってきてて、N氏の場合、楽しみ としての金星でゲームソフトと化している。彼にとって、テレビは楽しいもので 、楽しみの元が入ってるみたいなもの。 で、天王星とされていたパソコンを使 う通信は、文字だけは好きじゃないと言っていた彼は、コミュニケーションに要 する力を出せていないのか。集中するその作業を否定してるのか。 どうも話す と誤解されるとか、言われてましたが、あの場になんなく溶け込んでいたのは、 やはり海王星の人だからなのだろうか・・・いい意味で、ぼけてる部分があって 、面白い人ですよね。」
SARI「よくよく考えれば、この方の言っていたことは、コミュニケーションが したい、ということで、なんかエヴァのシンジと同じような気もします。」