Yさんの10天体

Yさんの10天体

今回写真を撮られたYさんは、これがはじめての撮影です。全ての天体につ いて、2枚づつ写真を撮っていたのですが、その中で、より今の自分の感覚に近 い方の写真を選んでもらいました。同じ天体でも、Yさんは随分印象の違う2枚 の写真を、撮っていました。これはとても印象的でしたが、メンバーは少々解釈 がしづらいというか、全体のイメージをまとめづらくもあったようです。

天体の配列 はいつもの通り。

1997.6月 Yさんの10天体

さて、研究会での様子をまとめる前に、メンバーの新宮五郎さんが写真のイ メージをまとめてくれました。以下は、新宮五郎さんの印象です。

当日張り出された写真の印象メモをまとめましたので、お送りします。

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火星:活力の方向が、具体を抜けて、いっぺんに空へと向かってしまう。
そして、空への手がかりがない。
左側の写真も、風景といいながら、空が2/3くらいをしめている。
とらわれの人は、また現世に追い求めるものをもたない人は、空を眺め るのではないか。
太陽:本来吹き上げる水の自由あふれる太陽であるのに、土星の制約が、ここ まで占拠している。
木星:ここでも、左側の写真には宗教的色彩があらわれていて、土星が勢力を およぼしている。
天王星の発展途上的にみえる街区も、やはり神社の屋根がかかっている。
宗教的倫理規範から逃れられないような気がする。
月は、美しい鉄の門に鎖されている。あるいは、幽閉の身でありながら、装う ことを心得ている。
けっして苦しそうにはみえない。
左の樹木の写真からは、みづみづしい緑の色調が印象に残った。
水星は、左側:直裁に実務への埋没でありながら、
右側:お祭りめいた楽しみかたをしている。
土星の制約には、しかし実体がないのではないか。きわめて形骸的にしかみえ ない。
入口を写し、中庭を探しながら、そこにはなにもみつからない。
金星はとてもにぎやかにみえる。人生を楽しむすべを心得ている。
海王星冥王星に深い緑のイメージがあって、心の底には、月の樹木とも呼応し て、
非日常への憧憬が秘められてもいそうだが。

全体として、才能と情熱は生活面に向けられているのではないか。
つまり、
現実的生活・仕事が、そのまま、楽しみとなっているという気がしてならない 。
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以上、チャートぬきの、写真からだけの感想でした。                                    新宮五郎

新宮五郎さんの言う“手がかりがない”空とは、Yさんの撮ったもう一枚の 火星の写真です。

Yさんのもうひとつの火星

1997.6月 Yさんのもうひとつの火星

Yさんのもうひとつの火星

この写真は、火星の写真としてはとても印象的でした。というのも、火星の 力は、外界に対する攻撃性や自己主張であるのに、この火星はそんな純粋な“火 星の力”にしては、フワーっとしていて(空にぽっかりと浮かんだ雲)、どちら かというと木星の寛容ささえイメージしてしまうように見えたからです。
新宮五郎さんは、このぽっかりと浮かんだ雲と青空の映像が、地上の風景を 全く受け付けていないところから、Yさんの火星の力が何か“日常的な具体性を 欠いている”と見えたようです。
そういえば、上の10天体中の火星の写真も、建物の高さにあまり差がなく、 空と地上が、きっちりと線を引いたように二分されているところは、新宮五郎さ んの言う“空への手がかりがない”ことのように見えます。

 


 

太陽の“本来吹き上げる水の自由”に“土星の制約”が占拠している、とい うのは、噴水の水の写真にしては画面からはみ出すほどに水が四方八方に広がっ ていなくて、落ち着き良くこじんまりとまっすぐに、水が下に落ちている様子を 言っているのでしょう。この噴水は確かにあまり勢いはありませんね。
チャートを考慮すると、Yさんの土星は海王星とスクエア、そこで土星と海 王星の写真の関係を見たところ、どちらも同じ噴水の写真(海王星は下の写真) を撮っています。やはりアスペクトを持つ天体は似たイメージを持ちやすいようです。

 


 

1997.6月 Yさんのもうひとつの海王星

Yさんのもうひとつの海王星

しかしこの噴水の水は、太陽の噴水よりももっと地面に向かって“落ちて” います。全く上へ向かって吹き出していない、と言ってもよいくらいでしょう。 この水の勢いのなさを、土星の抑制に引っ張られる海王星、と解釈しました。「 “土星の重力”に引きずられているている」(シンクパッド560)という言あり 。
Yさんは、上のグラスの写真の方を選びましたが、中央のグラスは、この噴 水の形にとても良く似ています。またグラスも同じ液体を入れるものです。グラ スからその液体こそこぼれおちてはいませんが、グラスの形をした噴水のイメー ジが、そこに反復されているように見えてしまいます。グラスは小さな噴水で、 噴水は中身がこぼれおちるグラス、というように。新宮五郎さんは、この“重力”として働く土星の力を念頭において、太陽の 写真においても土星の影響を読み取られたようです。

 


 

1997.6月 Yさんのもうひとつの木星

Yさんのもうひとつの木星

新宮五郎さんの言う木星は、こちらの木星の写真だと思われます。“宗教的 色彩”というのは、実は新宮さんは写真から少し離れた場所に座られていたため 、この写真が何か教会の祭壇のように見えたのではないかと思います。というの も、Hestiaも始め祭壇だと疑わなかったからです。実際は部屋の中の机の上と、 いろいろなものが掛けられた壁の写真なのですが、クリーム色の色調は教会の中 の雰囲気がするし、壁の上の方に掛けられたリュックサックかなにかの三角形は 十字架のようにも見え、またその左側の3つの棒のようなものはろうそくのよう だし、左下のランプの明かりはろうそくの光のように見えます。
さらに10天体の他の写真に、神社や仏閣など宗教的な写真が多かったため、 祭壇のイメージがわきやすかったのかもしれません。ところで、神社や仏閣のイメージが多くでてくるのは、Yさんの太陽と天王 星が乙女座の頭にあるからだ、という解釈がありました。これは実際、乙女座の0 ~5度くらいの初期度数で、宗教とかかわるケースが多いのだそうです。

 


 

Yさんのネイタル・チャート

Yさんのネイタル・チャート

1997.6月 Yさんのもうひとつの天王星

Yさんのもうひとつの天王星

上の天王星の写真と、このもうひとつの天王星の写真では、随分イメージが 違うように感じられるでしょう。しかし共通しているのは、画面の上半分が空で 占められているということでしょう。下半分にあるものが、かたや仏閣という宗 教的なもの、かたや非常に現代的な巨大な建物(手前にあるのは郊外の大型量販 店の建物によく似ていて日常的でさえあります)という一見相反するものである ということを、新宮五郎さんはむしろ日常性に“宗教的倫理規範”が見られる、 と解釈されたようです。
上の海王星の2枚の写真が同じイメージを反復していると見れるように、こ こでもあえて2枚の写真のイメージが分裂しているとは見ずに、むしろその意味 を統合するほうがYさんの天王星を理解するのに近づけるでしょう。一見相反す る価値観を共に内包するのは不思議ではありません。その場合、一見した普通の 価値観からちょっと逸脱していると考えれば分かりやすいでしょう。新宮五郎さんがこの仏閣の写真の方を、天王星の写真においてより重要性を 持つと判断されたのは、もともと天王星とは日常的な営みに捕らえられない精神 性を表すものだからかもしれません。 画面の4分割 でも、天王星の位置にあたる場所はより高い精神性や、本人にとっての倫理 観が現れる場所だと見ます。

 


 

上の月の写真は、Yさん本人の意識は柵にあるそうです。またYさんは月の 写真で、柵を繰り返し撮ってしまうそうです。月というのはその人の最も個人的 な天体であるので、“その人らしさ”というか、癖が最も出やすいものかもしれ ません。だから多く写真を撮っていると、繰り返し撮ってしまうテーマが出て来 ることも多いでしょう。
柵ということで考えられるのは、まずそれが蟹座の月であるということです 。蟹座自身が非常に自己の内と外を区別し、内側の親密さを守るために荒々しい 外の世界から防衛する性質を持っていることから、この写真はとても分かりやす いでしょう。そしてまた、“月”が蟹座であるということは、ルーラー回帰であるので、月の力が循環しない、つまり内側で閉じている、という意味からも柵の象意が理解できます。

1997;6月 Yさんの月

Yさんの月

しかしそんな保守的な柵のイメージにしては、この柵はとても装飾的で、美 しいものです。背後の建物はとても重厚なのに対し、この細身の柵では実際には ほとんど防犯の役目を果たしてないかのようにさえ見えます。柵の方が主人公に なっているようなのです。
それを新宮五郎さんは、“幽閉の身でありながら、装うことを心得ている。 けっして苦しそうにはみえない。”と言いました。“幽閉の身”というのは、と ても意味深です。蟹座にルーラー回帰ということもさながら、Yさんの月はグラ ンドトラインを形成しているのです。グランドトラインは普通、大幸運と見られ ますが、ある意味それを形成する天体の連携プレーからは、脱出しにくくなるで しょう。これはトラインというイージーアスペクトであるためでもあります。
その月が7ハウスであることから、同時に、人目に触れることも意識してい るため、装飾的な美しい柵を撮ったのではなかと思われます。もしこの月が12ハ ウスなどであったら、家がすっぽりと隠れてしまうくらい高く、何の飾りもまた 隙間もない“塀”を撮るかもしれません。

ところでYさんの月は蟹座の5.33度で、これはサビアンだと「猟鳥が自分た ちの巣を羽で飾っている」です。本能的に新しい生活のあり方に自分を投入して いく度数で、それを精神的というよりは具体的な形で追求しようとします。住居 などとよく関係する度数だと言いますが、Yさんが柵を繰り返し撮ったというの は、物事を具体的な形にしていくためのエネルギーをチャージする場所として、 仮に閉じた空間を必要としているようにも見えます。

 


 

1997.6月 Yさんのもうひとつの月

Yさんのもうひとつの月

ところでYさんのもうひとつの月の写真があります。これも柵のイメージと は随分と違い、柵どころが背後の高層マンションよりも高く写された中心の木が あまりに生き生きとしています。
新宮五郎さんは、この緑のみずみずしさが印象的だそうですが、確かに何の ためらいもないかのように堂々とした様子、また鮮やかな緑の色はどっしりとし ていて、見る者に安心感さえ与えるようです。上の月の写真の柵に重々しさや危 なさがなく、むしろ軽く明るく見えるのは、この月の写真の“健全さ”が証明し ているようです。
それはYさんの月が木星とともにグランドトラインを形成しているという、 “危険味のない”ものであるからでしょうが、ここでもまた確認できるのは、木 星の写真と同じ木の写真を撮っているということです。ただし荒々しい自然の中 や深い森の中の木ではなく、後ろに人の住む建物があることが、蟹座という“人の手の加わった世界”の月であることが分かります。

 


 

さて、水星で新宮五郎さんが「左側:直裁に実務への埋没でありながら」と言 うのは、Yさんの撮ったもう一つの水星の写真のことです。

1997.6月 Yさんのもうひとつの水星

Yさんのもうひとつの月

これはいわゆるオフィスなどにあるビジネスホンです。Yさんは、オフィス にこの新しい電話がやってきてうれしくてこの写真を撮ったそうですが、「電話 =水星」というのは、いじわるな見方をするなら、あまりにありきたりな水星の イメージになってしまいます。ありきたり、というのは、いわゆる水星の象意と して認識されているコミュニケーションとか伝達、通信という意味がそのままス トレートに表されているわけで、つまりYさん独自の水星の意味とか使われかた がここには現れていない、と見てしまいます。6月の座談会にもあるように、こ ういう個人化されていない写真を撮ってきたら、「もう一度撮り直し」という命 令が出てしまいます。
しかし、なぜYさんが水星の写真でこれだけありきたりなイメージを撮った か、ということも考えられます。Yさんの水星は乙女座、第9ハウスにありノー アスペクトです。ノーアスペクトの天体は他の天体からの影響や制約を受けない ので、どこに転ぶか分からない、その意味でノーアスペクトの天体を開発してい くと、誰にも真似の出来ないその人独特の世界が開発されたりしますが、しかし 上手く開拓されるまでは、自分でもその使い方がよく分からないのも確かでしょ う。
Yさんのこの水星の写真に限れば、まだ独自なものにされていないノーアス ペクトの状態が想像されてしまいます。

 


 

しかし電話というのが確かに水星としてはありきたりでも、Yさんの個性が 全くないわけではありません。ありきたりな水星のイメージといえば、ほかにも 学校とか郵便局とか、手紙とか、いろいろあるでしょうが、いかにも仕事で使う 電話を選んだのは、日々の仕事を表す6ハウスを定位置とする、乙女座の水星ら しいでしょう。
また、例えばYさんは、左端のコードにしがみついている猿のぬいぐるみを 、写真に入れるつもりはなかったのですが、写ってしまったそうです。こういう 、写すつもりじゃなかったけど、写ってしまった、というものも、解釈してしま います。Yさんの水星は乙女座の23度で、これはサビアンでは「メリーさんと、 子羊」。意図的に子供っぽい心を取り戻す意味ですが、単調であまりおもしろく ないオフィスの電話に、ちょっとこっけいでかわいい子供のおもちゃのようなぬ いぐるみを抱き付かせているのは、意図的に仕事の場に子供っぽい遊び心を取り 入れているように見えます。
頭を下にしてひっくり返っている姿がまたこっけいでかわいいこの猿は、9 分割で水星の位置にいます。Yさんの水星はおそらく、合理的でてきぱきと仕事 をする電話の方より、こっちのちょっとおとぼけでかわいい猿の方の性質が、個 人的な場面では発揮されているのでは…と想像しそうです。

 

1997.6月 Yさんの水星

Yさんの水星

さて、Yさん自身が選んだ水星については、「右側:お祭りめいた楽しみか たをしている。」と、新宮五郎さんは言いっていますが、これは、この猿の部分 の割とチープで楽しい感じの水星の部分を、もっと個人的に表現した水星のよう に思えます。この写真はアジアの小物などを売るお店だそうです。

さて、土星について新宮五郎さんは、「土星の制約には、しかし実体がない のではないか。きわめて形骸的にしかみえない。入口を写し、中庭を探しながら 、そこにはなにもみつからない。」と言っています。鳥居や屋根の下の空間など 、中央が空洞になった映像を、中央に何もない、そして鳥居や屋根など中央を取 り囲む枠はその空洞(空虚)に対する「形骸」と、とらえられたのでしょうか。

1997.6月 Yさんのもうひとつの土星

Yさんのもうひとつの土星

1997.6月 Yさんの選んだ土星

Yさんの選んだ土星

確かにこの2つの写真は、構図的にもとても良く似ています。左の土星は若 干右から中央への道に見え、鳥居の方は左から中央への道が示されている、とい う違いはありますが、どちらも中央に向かう道が強調されているようだし、また その道に明るく光があたっています。新宮五郎さんがこの中央部分に対して「そ こにはなにもみつからない」というのは、上にも述べた海王星とのアスペクトを 考慮されてのことのように思えます。

海王星の写真においては、土星の重々しさに引きづられて力の萎えた海王星 、という解釈をしましたが、逆に土星の方から見れば、形を曖昧にする海王星の 力によって、土星本来の確固とした形とか、安定性とかが、曖昧にされてしまう ことになります。

新宮五郎さんが「入口を写し、中庭を探しながら、そこにはなにもみつから ない。」と言うのは、この海王星の力に引っ張られて土星らしい固さとか、規範 的な重々しさが、”芯の部分で”何か力がそがれているように見えたのかもしれ ません。
ただ一方、光があたって明るいこと、中心の奥深くに導かれる道が暗示され ていることも、重要に思えます。普通、遠くに続く道などの写真は、自我の形成 を表す太陽の写真でよく出て来るそうです。それがYさんの場合は、土星で現れ ている。10枚の写真を並べた時も、遠近感が強調されているのは土星の写真です 。天王星や火星の写真は、遠近感というよりは俯瞰図であって、日常的に使われ ている感じがあまりしません。
ところでYさんの土星は水瓶座の6度、これは今年天王星と木星が会合した 場所です。2ハウスのルーラーである土星が2ハウスにあるので、2ハウスのこ とについては本来あまり動きがないものですが、天体がヒットしたことで、自己 の資質的なことやまた金銭的なことに動きが出てきたというか、別の視点を持ち 込める状況ではないかと思われます。それが、遠くへと続く道や、明るい中心部 とも見れる気がします。

1997.6月 Yさんの金星

Yさんの金星

1997.6月 Yさんのもうひとつの金星

Yさんのもうひとつの金星

さて、金星については、「とてもにぎやかにみえる。人生を楽しむすべを心 得ている。」ということですが、ショーウインドに映った色とりどりの映像は、 まさに人に見られることを意識した金星の美しさが現れているようです。ただシ ョーウインドーの中にあるということは、外界とは隔てられているわけだし、写 真の上と下は、石のようなものでしっかりとはさまれているようにも見えます。

Yさんの金星は天秤座で10ハウス、そしてノーアスペクトです。水星もノー アスペクトでしたが、この金星も同様に、暴走しているタイプのノーアスペクト には見えません。天秤座ということで、人に見られることを意識した、ガラスの 中の陳列品というのは、よく分かります。また10ハウスは個人的な楽しみを追求 するよりは集団的な利益を優先させる場所であって、そのためガラスの中にあっ たり、上下を煉瓦のようなもので区切られたりしているように見えてしまいます 。同じにぎやかな小物を撮っているようでも、9ハウスにある水星の写真は、入 り口が仕切られていなくて商品を外から触れるのに対して、対照的にも見えてき ます。

もうひとつの金星は、赤坂プリンスホテルの中にあった箱根プリンスホテル の模型だそうです。明かりが灯っていて黄色に輝いている建物は、左の金星もひ まわりのあざやかな黄色のイメージとだぶるところがあります。

色の解釈では、黄色はバイタリティを想像させますが、色彩言語では「環境 からの分離」や「空間的無限」「固定の欠如」なども表します。黄色は個性的な 色ととらえられがちですが、それは生命力の根源的な力と、束縛されない若さを 思わせるからでしょう。それはそのままノーアスペクトの状態を示しているよう に思えます。同じノーアスペクトの水星でも、小さいですが黄色の小物が目につ きます。そうすると、ショーウインドーの中のひまわりも、もっと自由に動きた い欲求をもっているのではないか、とも思えます。今現在、Yさんの金星に180 度の位置に土星があり、それがこのガラスや煉瓦の”枠”として働いているよう でもあります。

冥王星については、「海王星冥王星に深い緑のイメージがあって、心の底に は、月の樹木とも呼応して、非日常への憧憬が秘められてもいそうだが。」とい うことです。Yさんの写真は確かに瑞々しい緑が印象的です。もうひとつの冥王 星も、やはり緑を使っていました。

1997.6月 Yさんの冥王星

Yさんの冥王星

1997.6月 Yさんのもうひとつの冥王星

Yさんのもうひとつの冥王星

本当に単純な解釈になってしまいますが、冥王星がアスペクトを撮る月(も うひとつの月)、木星で樹木を撮っており、海王星で緑色が印象的というのは、 これらグランドトラインと、さらにカイトと作ることになる冥王星の間で、かな り強い連結が見えるようです。

Yさんによると、この冥王星は、「光が全て照らすことのできないほど深い 緑の茂み」だそうです。「全て照らすことができない」ということが冥王星の深 さとして表されているのでしょう。そのように見ると、右のもうひとつの冥王星 、室内の緑もまた、単なる観葉植物というよりは闇の中にある緑、というイメー ジが伝わってきます。

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